答え
今年、「宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」を迎え、慶讃テーマは「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」となりました。今から50年前「宗祖親鸞聖人御誕生800年・立教開宗750年慶讃法要」のテーマは「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」でした。よく似た言葉です。この50年間、そして、これからも、私が生まれた理由はなんでしょうかと、語りかけられているようです。
なにひとつ選びとれずに生まれてきたはずなのに、生み落とされた状況を受け入れるために、たとえば、虐待をしてしまう親の元に生まれたのは、あなたは親を虐待の連鎖から救うために生まれてきたのよ、といった真実のすり替えをよく耳にします。
私が生まれてきたのは、だれかのために、なにかをなしとげるため、ではなく、なによりも先ず、愛されるために生まれてきたのです。無条件に愛してくれる存在を親と言うなら、虐待を悲しいかなしてしまう親を親とは呼べないでしょう。そういう意味で阿弥陀様を私たちは親様と言い換えることがあります。
無条件に愛してくれる存在と出遇うために、だれとも違う個性をもった存在として〝いのち〟を受け継ぎ私は生まれてきたのでしょう。
あなたはあなたのままですばらしい・・
そんな呼びかけに出遇う時、生まれてきてよかったとはじめて言えるのです。
(第13組 即念寺 洲﨑 善範)