「Q&A」お念仏は何回となえれば良いのでしょうか?

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答え

 私の祖母は『ねてもさめてもへだてなく』の文字通り「お念仏」を口癖のようにしていた人で、御飯を食べても「ナンマンダブ」トイレに行っても風呂に入っても「ナンマンダブ」祖母のいる拙寺は本堂・庫裏を問わず何処へ行っても「お念仏」が溢れていました。幼少の頃、近所で遊んでいる友人たちが道往く祖母を見て「ナンマンダブが歩いて来た」と揶揄したほどでした。

そんな祖母のおかげか孫である私も物心がつく頃から毎日毎度と事あるごとに「御本尊」の前に座って手を合わせ「お念仏」していましたが、小学生になり段々と腰が落ち着かなくなると「もっと心静かに十回は、お念仏しなさい」と苦言されてばかりでした。如何に叱られても子供のことです義理か厄介のような「お念仏」はなかなか直りません。祖母の言う十回が長くて仕方がなかったのを覚えています。

考えてみれば祖母との間には、何時も「お念仏」がありました。本当は祖母の「ナンマンダブ」の声しか覚えていないかもしれません。自分の耳に残る祖母の「お念仏」の響きだけが、その面影を辿られる道標になっているように思います。

御経には『乃至十念』とか『乃至一念』というお言葉で我われを導かれてます。それは「お念仏」は称える回数ではなく「聞く」心が肝要であることの御教えなのだと思います。『たもちやすく、となえやすき名号』の響きによって自分の賜っていた広い背景に気づかされ自身の深い歴史に出遇っていくのでしょう。

(第13組  道徳寺  入江  賀彦)

4月号「六字城」HP公開のお知らせ

投稿日:

天満別院では昭和38年8月の創刊より毎月機関紙「六字城」を発行しております。

今月末には、「六字城」689号(令和4年4月号)を皆様のお手元に届くようご郵送いたしました。

まもなくお手元に届くことかと思います。

また天満別院ホームページにも公開しました。下記のリンクからも閲覧いただけます。

皆さま是非ご覧ください。

689号(令和4年4月号)

3月21日(月)春季彼岸会法要のご案内

投稿日:

今年度の彼岸は、3月18日(金)が入り。

中日が21日(月)で、明けが24日(水)となっております。

天満別院では、21日(月)13時30分より、

春季彼岸会 並 総永代経法要 兼 墓地納骨(物故者)追弔法要を勤修致します。

ご法話の御講師には、

大阪教区  第2組 即應寺 藤井  善隆 師 

にお越しいただき、

「本願力と私」についてお話しいただきます。

感染症対策には配慮しておりますので、皆様のご参拝をお待ちしております。

「Q&A」真宗の寺院で願い事をしたらダメなのか?

投稿日:

答え

 我われは日々いろいろなことを願っていますが、その願いは凡そ「家内安全」「無病息災」「商売繁盛」の三つに分類されるようです。つまり自分や家族が安全で怪我や病気なく健康であり経済的に不自由なく暮らしたいという願いです。これらの願いは我われにとって如何にも重要で当然な願いのようで、これが叶えるために生きていると言っても過言ではないでしょうか。でも我われの願いはこれだけなのでしょうか。この願いが自分で成就できれば本当に安心なのでしょうか。自分自身の心底に問いかけられる疑問もあることも事実でしょう。

「死ぬ前に後悔しない人生を歩みたい」と願い「今やりたいコトをやるのだ」と公言される御門徒がおられました。しかし、やりたいコトをやりたいだけする事が後悔しないことなのでしょうか。それは幻想ではないでしょうか。後年、その御門徒は「私の願いは、ずっと後悔のしっぱなしだ」としきりに述懐されていました。自分に正直であればあるほど後悔がつきまとうようです。もし誰か臨終前に「私は後悔していない」というなら、それは自分の人生に妥協しているのではないでしょうか。本当に悔いのない人生を望むなら後悔と共にある自分自身に正直に出遇させていただくしかないでしょうか。

真宗の寺院はいつわりのない自分との出遇いの場所です。自分の願いにまれ苦しんでいる自分自身に『御同行・御同朋』と出遇っていく場所であることを願わずにおれません。

(第13組  道徳寺  入江  賀彦)

 

3月号「六字城」HP公開のお知らせ

投稿日:

天満別院では昭和38年8月の創刊より毎月機関紙「六字城」を発行しております。

今月上旬に、「六字城」688号(令和4年3月号)を皆様のお手元に届くようご郵送いたしました。

また天満別院ホームページにも公開しました。下記のリンクからも閲覧いただけます。

皆さま是非ご覧ください。

688号(令和4年3月号)

獅子吼の会 第17回 三夜連続法話の会 開催のお知らせ

投稿日:

天満別院では、上記の通り「現代法話研究会 獅子吼の会」主催の連続法話の会が開催されます。

コロナ感染状況により、ご来場できない場合があります。

開催につきましては「獅子吼の会」のホームページをご確認ください。

尚、来場が中止となった場合でもライブ配信はございますので、ぜひご覧ください。

 第17回 三夜連続法話の会

「Q&A」永代経とは、どのようなお経ですか? また永代経をあげると、永代供養になるのでしょうか?

投稿日:

答え

 昨今、高齢化社会の中で、多種多様の終活の情報がしております。そのため色々な情報に混同されているご門徒さんがおられるのも現実です。

自坊でも以前、若いご門徒さんからお尋ねがありまして、母の年忌がもうすぐ巡って来るので、この機会に「永代経」をあげさせて頂きたいというご依頼でした。ただお話を聞いているうちに、どうも話が噛み合わなくなり、ご門徒さんが仰るには「永代経」というのは永代経という名前のお経をお勤めしてもらうこと

により「永代供養」になると思っておられました。やはり最近の世相で「永代供養」という言葉を耳にすることが多いので、そのようにイメージされたんだと思います。

この「永代経」は、お経の名前ではなく、永代読経の略で永代に渡ってお寺でお経をお勤めするという意味から、そう呼ばれているものです。浄土に還っていかれた亡き人をご縁とし先祖から引き継いできた、仏さまの教えが、子や孫、末代に伝えられるようにと願いが込められています。また、永代経は亡くなられた方への、永代供養だと思われがちですが、私達真宗門徒は、亡き人は、阿弥陀仏のおはたらきで極楽浄土に生まれて「諸仏」となられたので、改めて追善供養をする必要はないのです。

真宗のお寺では、春・秋の季節の良い時期に永代経法要が営まれます。亡き人をご縁として御念仏の教えを、今一度頂くことができる大切な聞法の場ですので、どうぞ「永代経さん」にお参りください。  

 (第13組  超願寺  村上  奈津子)

2月号「六字城」HP公開のお知らせ

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天満別院では昭和38年8月の創刊より毎月機関紙「六字城」を発行しております。

今月上旬には、「六字城」687号(令和4年2月号)を皆様のお手元に届くようご郵送いたしました。

また天満別院ホームページにも公開しました。下記リンクからも閲覧いただけます。

皆さま是非ご覧ください。

687号(令和4年2月号)

「Q&A」仏教讃歌とはどのようなものなのでしょうか?

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答え

 仏教讃歌とは、歌を通して仏さまの教えを知る仏教音楽のひとつです。仏教に関する素養のある作曲家、作詞家によって、明治から今日に至るまで、盛んに作られ、現在まで300曲以上の仏教讃歌があります。私自身も幼い頃からご法話の前に「真宗宗歌」終わりに「恩德讃」を門徒さんが楽しく、生き生きと歌っておられる姿が心に残っております。仏さまの歌、人生の歌、嬉しい時や悲しい時、その時々の気持ちで仏教讃歌に出遇い、歌っている時は、みんなの心がひとつになり、元気を貰えるような気が致します。
仏教讃歌の歌詞には、仏さまの教えが説かれていますので、教えを広く伝えるために、歌詞だけではなく、親しみやすい曲調で作られ、声に出して、読み、歌い、味わい、仏さまのお心に触れることのできる安らぎのひと時です。
たくさんの仏教讃歌の中でも特に皆様もご存知の「恩徳讃」は親鸞聖人が「正像末和讃」の中で書かれているお言葉に節をつけたものです。この曲は、真宗門徒にとっては、とても身近であり、自然と体の中に染みついております。阿弥陀如来に真向かい、背筋をのばし、合掌しながら歌っていると、心が落ち着き、教えに遇えた喜びを感じます。
今は、コロナ禍で歌うことがままならぬ状況が続いており、寂しい限りです。早く合唱団「みのり」で声を合わせる日が来るのを心待ちにしております。

(第13組 超願寺 村上 奈津子)